チェコスロバキアからのソ連占領軍撤退の日
June 21, Saturday
歴史的背景
1968年8月20日から21日にかけて、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構加盟5か国の軍隊が、アレクサンデル・ドゥプチェク政権によって進められていた改革を阻止するためにチェコスロバキアへ侵攻しました。当初、この侵攻は一時的な措置と説明されていましたが、ソ連軍はその後20年以上も駐留を続け、チェコスロバキアを実質的にソ連の強い影響下にある衛星国へと変えてしまいました。
撤退の過程
1989年の「ビロード革命」により、チェコスロバキアの共産党政権が平和的に終焉を迎えた後、ソ連軍撤退に向けた交渉が始まりました。1990年に撤退協定が締結され、1991年6月21日に完全撤退が完了しました。およそ7万3,500人のソ連兵士、3万9,000人の家族、そして数千トンにも及ぶ軍事装備が国内から撤去されました。
スロバキアおよびチェコ共和国での記念
スロバキアとチェコ共和国の両国において、6月21日は重要な歴史的日付として認識されていますが、祝日(休日)には指定されていません。この日は、外国軍による占領の終結と完全な国家主権の回復を思い起こす日として位置づけられています。政府関係者による公式声明、教育的行事、メディアによる回顧特集などが行われ、ある年には占領の犠牲者やソ連支配に抵抗した人々を追悼する式典も開催されます。
遺産
ソ連軍の撤退は、チェコスロバキアにおけるポスト共産主義期の変革、そして1993年の平和的な分離によるチェコ共和国とスロバキア両国の誕生に至る過程の重要な節目とみなされています。この出来事は、民主的統治への回帰を象徴し、欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)といった西側諸機関への統合へと続く道を開いた出来事として記憶されています。